はじめに
30代になってから、「結局、自分は何者にもなれなかったのではないか」と感じる瞬間が増えました。
特別な肩書きがあるわけでも、大きな成功体験があるわけでもない。周囲を見渡すと、何かしらの分野で名前を持っている人が目につき、自分だけが取り残されているような気がしてしまう。
この感覚は、はっきりとした失敗があったから生まれたものではありません。むしろ、普通にやってきたからこそ湧いてくる感情でした。
「何者かにならなければ」という無言の圧
20代の頃は、「いつか何者かになれる」という前提がありました。
努力を続ければ評価される。続けていれば形になる。そう信じられる余白があった。
30代になると、その余白が急に狭くなります。
現実的な結果が見え始め、「この先も大きくは変わらないかもしれない」という感覚が、静かにプレッシャーになります。
このとき感じる苦しさの正体は、他人からの評価よりも、「自分で自分にかけている期待」でした。
何者か=肩書き、という思い込み
苦しさを深掘りしていくと、「何者かになる=肩書きを持つこと」という思い込みがありました。
起業家、専門家、リーダー。そうしたラベルを持っていない自分は、価値が低いのではないかという不安。
しかし冷静に考えると、肩書きは役割の一部でしかありません。
役割は環境やタイミングで変わるものなのに、それを自分の存在価値と結びつけていたことが、苦しさを生んでいました。
「何者かになれなかった」は事実ではない
「何者かになれなかった」と感じていましたが、正確には「一つのラベルに固定されなかった」だけでした。
・仕事を続けてきた
・責任を果たしてきた
・生活を維持してきた
これらは派手ではありませんが、何もしてこなかった証拠でもありません。
評価されにくいだけで、積み重ねは確実に存在しています。
視点を変えると、楽になる
楽になったきっかけは、「何者かになる」という考えを手放したことでした。
代わりに、「今の役割をこなしている自分」を認めるようにしました。
人は一生同じ肩書きで生きるわけではありません。
今は一つの役割を担っているだけ。必要になれば、また別の役割を選べばいい。
そう考えると、将来への圧迫感が和らぎました。
普通に続けていることの価値
30代になってわかったのは、「普通を続けること」の難しさです。
・働き続ける
・人間関係を壊さない
・心身を大きく崩さない
これらは簡単そうに見えて、実はかなり高度です。
何者かにならなくても、生活を回しているだけで、十分に価値がある。
何者かにならない人生も、ちゃんと進んでいる
何者かになれなかったからといって、人生が止まっているわけではありません。
静かに、確実に進んでいます。
進み方が目立たないだけで、意味がないわけではない。
この視点を持てるようになってから、自分を責める回数が減りました。
おわりに
30代で「何者かになれなかった」と感じる自分を、否定しなくていい。
それは失敗ではなく、一つの生き方です。
肩書きがなくても、評価されなくても、生活を続けている事実は消えません。
何者かにならなくても、人はちゃんと生きていける。
そう思えたとき、肩の力が少し抜けました。


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