はじめに
30代になってから、「夢」を語らなくなった自分に気づきました。
20代の頃は、将来の話をするのが当たり前でした。やりたいこと、なりたい姿、いつか叶えたい理想。完璧に言語化できていなくても、「夢があること」自体に価値があるような空気がありました。
それが今では、夢の話を振られると、少し言葉に詰まる。何も考えていないわけではない。でも、以前のように胸を張って語れない。その変化を、どこかで「劣化」や「諦め」だと思っていた時期がありました。
夢を語らなくなったのは、現実を知ったから
30代になると、現実が見えてきます。
時間は有限で、体力にも限界があり、選択には必ず代償がある。20代の頃のように、「全部できる」とは思えなくなる。
これは冷めたわけでも、臆病になったわけでもありません。単に、現実を理解しただけです。
夢を語らなくなった理由の多くは、「何も信じられなくなった」からではなく、「軽々しく言えなくなった」からでした。
夢を語らない=何も目指していない、ではない
夢を語らなくなったからといって、何も目指していないわけではありません。
ただ、目指し方が変わっただけです。
・生活を安定させたい
・無理なく続けたい
・心身を壊さずに生きたい
これらは、派手な夢ではありません。しかし、30代にとっては十分に重みのある目標です。
夢という言葉にしなくなっただけで、価値観は確実に存在しています。
20代の夢は「可能性」、30代の夢は「責任」
20代の夢は、可能性の話でした。
できるかどうかは関係なく、想像すること自体に意味があった。
一方、30代の夢は責任と結びつきます。
口にした瞬間、「本気でやるのか」「何を捨てるのか」「誰に影響が出るのか」を考えてしまう。だから簡単に語れない。それだけの話です。
「夢を持て」と言われることへの違和感
30代になると、時々「夢を持ったほうがいい」「目標がないとダメだ」と言われることがあります。
しかし、その言葉が重く感じるのは、自分に向いていないからではありません。
夢や目標は、外から与えられるものではなく、内側から自然に育つものです。無理に掲げた夢は、支えになるどころか、プレッシャーになります。
今は「夢」より「方向」を持てばいい
30代になってからは、「夢」というゴールより、「方向」があれば十分だと感じています。
・どんな状態は避けたいか
・どんな生活なら続けられるか
・何を守りたいか
これらがはっきりしていれば、細かい目標は変わっても、軸はぶれません。
方向さえ合っていれば、進み方は途中で調整できます。
夢を語らなくなった自分は、弱くなったわけじゃない
夢を語らなくなった自分を、どこかで「丸くなった」「面白くなくなった」と感じていました。
でも今は違います。
それは、軽い言葉より、実感を大切にするようになっただけでした。
口に出す夢は減ったかもしれない。でも、日々の選択は以前よりもずっと現実的で、誠実です。
小さな希望は、ちゃんと残っている
大きな夢を語らなくなっても、小さな希望は残っています。
・今日を穏やかに終えたい
・明日も無理なく起きたい
・少しずつでも前に進みたい
これらは声高に語るものではありませんが、確実に人生を支えています。
おわりに
30代で「夢」を語らなくなった自分を、否定しなくていい。
それは、諦めではなく、成熟です。
夢を持たなくても、方向を持てばいい。
派手でなくても、納得できる日々を積み重ねればいい。
30代の生き方は、語るものから、選び続けるものへと変わっていく。今はそう思っています。


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